2009年06月05日

足利事件

今朝、朝刊を見て『足利事件』について知りました。



1990年5月12日。

父親がパチンコをしている最中、4歳の女児が姿を消した。その翌朝、川から遺体となって発見された。泥だらけの半袖下着に『微量の精液』が付着していた。それをDNA鑑定し、犯人を逮捕した。

しかし今年、DNA再鑑定の結果を受け、17年半ぶりに釈放された。



いつものように僕の考えを綴ります。



19年前のパチンコ。

今はカップルシートだの禁煙だの静かな店内だのあるが、19年前なんてオシャレ快適空間も糞もないでしょう。

無論、行動をとった犯人が悪いですが、そんな所に夜7時前まで4歳の女児を連れ回す父親も父親です。

悔やんだでしょう。



足利市では数件、隣の市でも両親がパチンコの最中に子供が誘拐された未解決事件があるそうです。

関連する連続事件で未解決の物があると、僕は凄く疑問に思います。

一時的ではあるが極限に達する事を数回して、それを『はい、ここまで』と自制できるとは思えない。『1回食べて美味しかった物を2回食べ、3回目でもやっぱり美味しかったけど、4回も食べません。太るし。今後一生食べません』てな事は考えにくい。自制心が働いた所で、それに近い事はしているはず。



当時のDNA鑑定は科学捜査としてまだまだ弱かった。それなのに鑑定するには少な過ぎる証拠の精液を調べ「一致した」と発表。今は『4兆7千億人に1人』の確率で科学的にそれが揺るぎない証拠とされるが、当時は『1000人に1人』の確率だった。



取調室という密室で何人もの刑事から暴言暴力を受け、心は折れてしまい、誘導尋問させられて、自白をしてしまう。

映画でよく観かける流れ。刑事もその道のプロ。正義感からした行動でしょうから、暴力暴言の取調べをした結果、凶悪犯人の自白に繋げたケースもあるでしょうから、それは否定できないと思います。

ただ、何かに矛盾を感じた時にそれをちゃんと対処し適切な処理をしたのか?そこがひっかかる。

憶測ですが、捜査はずさんだったでしょうし、様々な辻褄合わせがあったと思います。



一生懸命やった事が間違いを起こす事だってある。もしそれで迷惑かけたら、一生懸命謝罪をすればいい。

しかし、どうか。

捜査をした元県警は『思い出したくない』と語っているとか。

チンカス糞野郎です。



とにかく僕が言いたいのは誰が犯人だとかそうじゃなく、『警察は当時プロとして正義感からした事だった』のか?『何らかの為にそうじゃないのにそうした』のではないのか?

警察の面子、当時の情勢、世間体、私利私欲、権力など、これらが絡んでいませんか?事件に関わった1人1人がプロとして当然の事を当然のようにしましたか?

僕が思うに『当時DNA鑑定で型が一致したけど、犯人とは断定出来ない状況』だが、容疑者を犯人と断定して逮捕する方が利益があったのだと思います。



今後、真犯人が誰かというのは判明しにくいでしょうが、遺族に対し『神や仏が決断して与えた試練』ではない事だけは判明しています。



釈放された方はあまりにも多くの事を失った。

幼女の遺族は事件当日の行動を再び悔やみ、警察や事件を担当した関係者に不信感を抱き、生存しているのかいないのか分からない犯人の幻影を追い掛けるのでしょう。

愚かな人間による愚かな自慰行為の延長で尊い命が失った。

もっと早く『TENGA』があれば、起こらなかった事件かも知れません。
  
Posted by DNA池上 at 14:53 Comments( 0 )