2009年06月03日

新聞

50代女性Aの所に50代女性Bが訪ねてきた。

女性Bが帰った後、女性Aに友人なのかと尋ねた。

するとその女性Aは顔を曇らせ話し出した。

「応援で行った職場や他で何回か会った人で、それで知り合った人。新聞とってくれって言いに来たんよ。それかて何回も断ってるのに今回もやねん。1800円やけど読みもせんのにもったいない。『今回だけで次は無いよ』と言って短期間だけ新聞とったら、また忘れた頃に言うてきて。これで3回目。電話でも頼んでくるし、こうやって職場にも来るし、家にも来るし。家に来る時は少なくて3人、多い時は5人で来るわ。『良い事書いてるから読んで』とあの人は周りに言い散らしてるけど、別に私は何の関心もないような事やもん。うちの主人は巨人ファンで読売新聞を30年以上とってるんよ。今更他の新聞に変えようとは思えへん。読売が読み慣れてるし。主人の勤めてた会社の社長が共産党で、赤旗を日曜だけ取ってるけどね。それかて30年以上。今更やめるとは言われへんけど、まぁそれは日曜だけやからいいねん。安いし。でもこの新聞は毎日やし、読みもせんのに月約2000円は大きいよ。新聞届いて開けもせんと古新聞行き。お金も紙ももったいないわ。次はほんまに絶対とれへんと約束して、また明日からとる事になってんけど…」

と、50代女性Aは嫌でしかない表情を浮かべながら僕に話してくれました。



以前、新聞の集金をしている人から聞いた話ですが「朝刊・夕刊と今はあるけど、部数も減ってきてるから夕刊をやめるかも知らん。新聞会社の方がな」と言ってました。

数ある新聞の中から、ここの新聞にしようと決める理由はいったい何なのか。

サービス?

付き合い?

値段が安い?

一般的な理由を挙げましたが、他にも数ある理由の中で、個人でどの新聞にしようか選択する際に『良い事を書いてるから』という理由で新聞を選ぶのかな?



僕の中での新聞の役割は『最近の情勢や事件・事故を知る媒体』です。別に良い事など不必要。もしその新聞の特色でもある良い事が無ければどうするのか。あえて良い事をするのですか?良い事が重なり合わないように計画して小出しにするのですか?偽善じゃないのですか?

じゃあ百歩譲って良い事だとしましょう。でもそれが本当に良い事なら他の新聞や雑誌なども書きますよ。それが書かれていないって事は、何故なのですか?その良い事というのが情報として偏っているからではないですか?



押し付けで新聞をとらし、別に関心の無い事だと吐き捨てられているのに、それでも『良い事書いてる』と言えるのが不気味です。

もし僕がそのような新聞を仕方なくとっているなら、一応読んで情報収集した後に、落書きしたり、便器を拭いたり、犬のウンコを取る時に使います。

犬いませんけどね。

戌年ですけど。

関係ないか。  
Posted by DNA池上 at 19:45 Comments( 0 )